印象の操作
「自分には嫌いな人がいる。
だから、他人にも嫌いな人がいるはず。
だから、その「嫌いな人」が「自分」であっても、おかしくない。」
中学生、高校生くらいのころは本気でそう考えていた。つまりはこういうことだ。
「嫌われても良いから、人の目を気にし過ぎずに、自分らしくあろう。」
この考えが、当時の自分を後押ししてくれたのは確かだ。
でも、最近考えが変わった。「嫌われても良いから」と言わずに、もっと「嫌われない努力」をするべきではないか、と。それは自分が周囲から嫌われているから改善するべきだという悲観的な理由ではない。むしろ現在、人間関係は良好である。
人間関係が良好なのは、「今までの自分」のおかげだ。思春期まっただ中に、いろいろな人と出会って、あれこれ自分なりに人間関係について考えて、冒頭のような結論を出したりして、自分なりの人間関係の作法のようなものを身に付けてきた。
しかし今、自分の中にあるアプリケーションをアップデートする必要があるのではないかと感じる。社会人になって、久しぶりに上下関係の中で毎日を送り、尊敬できる人たちと接していて、そう思うようになった。
最近思うことは、尊敬できる人は、
相手の承認欲求を刺激するのが上手い。
承認欲求を刺激するのが上手い人は、概して好かれる。
好かれる人になりたいのなら、承認欲求を刺激することが大事。適度にね。