04:30の涙
AM04:30
ふと目が覚めると、Mr.Childrenの終わりなき旅が聴きたい気分だった。何か越えなければならない壁がある時に聞いてきた、いわば「応援ソング」の定番だ。その曲を流しながら、まだ夜も明けていないこんな時間に、僕は大泣きした。
24年しか生きていない人間が「人生を振り返る」なんていうのは大袈裟に聞こえるけど、今までの人生は本当に山あり谷ありだった。全部、ちゃんと覚えている。人は記憶を美化する生き物と言われるけど、ちゃんと覚えている。人前で苦労話なんてしたくないから忘れたことにしているけど、辛かったこともすべて。もちろん嬉しかったことも。
特に今最も強く感じるのは、今まで何かを達成したり、頑張り通すことができたのは、「悔しい経験」があったからだということ。僕は「悔しい経験」に感謝している。悔しい経験は人によっては「消したい過去」かもしれないが、「向き合わなければならない現実」でもあると思う。たとえ悔しい経験が過去のものであっても、時々それと向き合う。その経験があるからこそ今の自分が存在することを実感する時間があっても良いと思う。
たとえば、野球。
たとえば、受験。
この2つから、たくさんの喜びと悔しさを経験した。
うまくいかないこともたくさんあった。
でも、「自分はそんなはずじゃない」という気持ちは絶対に消えなかった。
そんな気持ちを持ちながらそれらを克服してきた数々の経験が、
自分に対する揺るぎない自信をつくりあげた。断言できる。
よく「悪いことの次にはきっと良いことがある。その逆も然り」みたいなことを言う人がいる。
そう信じたい気持ちもわからなくもないが、この考え方が嫌いである。なんか運命論者的というか、人生のバイオリズムには逆らえないみたいな考えがとても嫌いだ。そりゃ日常単位で体調が良い時もあれば悪い時もあるだろう。でも、今、自分がここにいる現実が幸か不幸か判断するのは、自分の考え方次第だと思っている。むろん、他人と比較したところで、幸も不幸もない。
たしかに現実には辛いこともある。めんどくさいことも山程ある。
でも、あの「悔しい経験」、あの「辛かった経験」と比べれば、たいしたことがないって思える。そして、辛い経験を乗り越えた時の、喜びや達成感も身を以て知っているからこそ、乗り越えてやろうじゃないって思える。
そんなふうに思えることが大事だと思うし、そう思うには「悔しい、辛い経験を乗り越えた」っていう自分を受け入れてやる必要があると思う。辛い過去をなかったことにすると、そーいう考え方ができなくなるんじゃないかって思う。
悔しさとは応用可能である。
たとえ「今」が辛くても、「悔しい過去」をモチベーションにできる。
たとえ「今」と「悔しい過去」に直接的な因果関係はなくても、「あの悔しい過去を乗り越えた自信」が、今の悩みをちっぽけに感じさせてくれる。自分自身の経験によって、自分の現状を相対化する視点。
数々の悔しさを乗り越えた自分に感謝したいっす。ただそれだけ。今朝の涙は、その涙だと思う。感謝の涙。