秘するが花
ある夜、友人と話していて、俺はかなりSNSに疲れていることに気が付いた。
Twitter、Facebook、LINEの出現によって、人はかつて感じる事のない「感情」を抱くようになったと思う。
それは、プラスの感情ばかりではない。
むしろ、マイナスの感情が生じる事の方が多いと思うようになった。
それに関する話をひとつ。
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ある友人にこういわれた事がある。
そして、俺自身もこう言った事がある。
(ある発言に対して)「あぁ、この前Twitterでそれ言ってたよね!」
この言葉にどうも違和感を感じてしまう。少しシラケてしまう。
どうしてだろう。
「あぁ、この前Twitterでそれ言ってたよね!」
こう言われれば、余計な話は省略されることになる。
この発言は、事前に知識を共有できている証だから、「途中地点」から会話が始まることになる。これを”便利”と言う人もいるだろう。でも「今目の前にいる人に対して、ゼロから話を組み立てる面白さ」が失われてしまう気がするのだ。
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少し話はそれるけど、小学校の時、人をシラケさせるのが得意な、いたずら好きなやつがいた(普段はいいやつ)。
やつが「からかうモード」に入っている時、コチラが何か言うと、「知ってるwアレだろ、アレw(知らない)」としか言わないのだ。
これと似たような作用が働いている気がする。
こちらがトッテオキな話をしようとしているのに、「知ってる!言ってたじゃん!」と言われれば、話す気が失せてしまうのは当然だろう。
(一方で、「知ってる!」と言うことによって、思いを共有できた喜びを感じるのも確か。相手をシラケさせるかどうかは、「知ってる」という言葉そのものではなく、それを発するコンテクストによるのかもしれない)
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逆に俺が「知ってる!言ってたよね!」と言いたくなる時がある。
でもそんなときは思い止まって、「知ってても知らないことにする」ようにしている。
例えば、誰かと話していて「ああ、この話、昨日Tweetしてたから知ってるなー」と思うことがある。
そこで、「それ昨日言ってたね!」と言ってシラケさせてしまうのは嫌だから、知らないことにして話を聞くのだ。そして、初めて聞いたかのようにリアクションをする。この方が、話す側も気持ちいいんじゃないかな、って勝手に思っている。
人によって感受性がバラバラだし、こんなこと言われたって「いちいちシラケねーよ」と思う人がいるかもしれない。「そもそも不特定多数に知って欲しくてSNSで発信しているのに、知ってる!って言われて何が不快なんだ?それなら自己責任だろ」と。でも俺は、シラケてしまう。
やっぱり、今目の前にいる、何も知らないであろう人に対して、ゼロから話を組み立てたい。
だから俺は、SNSで余計なことは発言しない。「知ってる!Tweetしてたよね」って言われたくないから。
だから俺は、「知ってる!Tweetしてたよね!」とは言わない。相手をシラケさせるかもしれないから。